仕事や家事に追われ、気づけば一日が終わっている。
そんな毎日の中で、ふと「自分は何のために生きているんだろう」と思うことはないだろうか。
答えが出るわけではないけれど、その問いだけが静かに残ることがある。
私も同じように悩んだ時期があった。
特に子育てと家事に追われていた時期は、朝から気持ちに余裕が持てず、イライラしてしまうことも多かった。
一日が終わる頃には「今日、自分は何をしていたんだろう」と感じる日もあった。
世の中では「いい大学に行くこと」「いい会社に入ること」「結婚して家庭を持つこと」などが、理想の人生として語られてきた。
けれど、それが本当に幸せかどうかは、誰にもはっきりとはわからない時代になっている。
では、人は何のために生きるのだろうか。
答えがないまま進む人生は、方向のわからないまま泳ぎ続けるようなものかもしれない。
気づけば同じ場所に戻ってきて、「何をしていたのだろう」と感じることもある。
だからこそ、「自分なりの軸」を持つことは大事なのだと思う。
それが絶対の正解でなくても、方向があるだけで少し楽になることがある。
人は何のために生きるのか|私がたどり着いたひとつの答え

人は何のために生きるのか。
何のために生まれたのか、一度は考えたことがあると思う。
恐らくだが、私はひとつの考え方にたどり着いた。
それは、「人の役に立つこと」と「自分が楽しむこと」の2つだ。
一つ目の「人の役に立つこと」は、特別なことではない。
誰かを助ける大きな行動でなくてもいい。
挨拶をすること、ありがとうと言うこと、笑顔でいること。
そんな小さなことでも、人の役に立つことはできる。
もう一つは、「自分が楽しむこと」。
これは特別なことでも、贅沢なことでもない。
日常の中で、ほっとできる時間や「好きだ」と思える瞬間を持つこと。
それだけでも十分なのだと思う。
この2つは、どちらか一方だけではバランスが取りづらい。
人のためだけに生きれば、自分がすり減ってしまうことがある。
自分のためだけに生きれば、どこかで空虚さを感じることもある。
だからこそ、「人の役に立つこと」と「自分が楽しむこと」。
この2つを意識しながら生きていくことが、自分なりのバランスなのかもしれない。
そして、そのバランスは完璧である必要はなく、行ったり来たりしながら整っていくものだと思っている。
本の中で出会った考え方

その考えのもとになったのは、本で出会った一つの言葉だった。
「なぜ生まれた目的が、人の役に立つことと自分が楽しむことなのか?」
正直に言うと、この考え方は本を通して知ったものだ。
ある本の中に、そのヒントのような考え方が紹介されていた。
それが、『胎内記憶が教えてくれた この世に生まれてきた大切な理由』(池川明)である。
この本では、生まれる前の記憶を持つとされる子どもたちの言葉として、「生まれる前の約束」という考え方が紹介されている。
その内容は次の2つだ。
一つは「人の役に立つこと」。
もう一つは「自分が楽しむこと」。
この考え方は一つの解釈であり、正解かどうかを断言できるものではない。
ただ私は、この2つを意識することで、生き方が少し軽くなるように感じた。
(池川明『胎内記憶が教えてくれた この世に生まれてきた大切な理由』より)
笑顔でいることも、人の役に立つという考え

「笑顔でいることも、人の役に立つことのひとつ」という考え方がある。
たとえば、子どもがにこにこしているのを見ると、それだけで気持ちがふっと軽くなったり、自然と微笑んでしまうことがある。
そうした経験から、誰かの笑顔もまた、周りの人の心をやわらかくしているのかもしれないと感じる。
和顔施という言葉があるように、特別なことをしなくても、笑顔そのものが誰かへの小さな贈り物になるという考え方だ。
もちろん、いつも笑顔でいる必要はない。
できるときに少し意識するだけでも、空気がやわらぐこともあるのだと思う。
「ありがとう」は人の役に立つという考え方

「ありがとう」は、それだけで人の役に立つと言われている。
お礼を言われると、私たちは素直に嬉しい。
それは気分が良くなるだけでなく、「自分の行動が誰かの役に立った」と感じられるからかもしれない。
人生の中で大切にされる「人の役に立つこと」は、こうした日常のやりとりの中にもあるのだと思う。
逆に言えば、小さなことであっても「ありがとう」と伝えることは、相手の行動や存在を認めることにもつながる。
たった一言でも、お互いの気持ちが少しあたたかくなる。
そうした小さな循環が、日常の中で積み重なっているのかもしれない。
自分が楽しむことも大切

自分が楽しむことも、同じくらい大切だと思う。
「楽しむ」と言われると少し大きなことに感じるかもしれないが、必ずしもそうではない。
むしろ日常の中にある、小さな「好き」や「心地よさ」で十分なのだと思う。
たとえば、少しだけ贅沢にハーゲンダッツを食べること。
好きな本を読むこと。
面白いマンガに夢中になること。
ドラマの続きが気になって家事の手が止まることも、その一つかもしれない。
そうした時間をあとから振り返ったとき、「ちゃんと楽しんでいた」と思えることもある。
人生は特別な出来事ばかりではないが、その中に小さな楽しさは確かに存在しているのだと思う。
人生の答えは「2つのバランス」

人は何のために生きているのか。
その問いに、私は今のところこう考えている。
一つは、人の役に立つこと。
もう一つは、自分が楽しむこと。
どちらも特別なことではなく、小さなことでいい。
「今日は誰かの役に立てただろうか」
「今日は自分は楽しめただろうか」
そう振り返ったとき、「はい」と言える日が少しずつ増えていけば、それで十分なのかもしれない。
目的地があることは、とても大事だと思う。
たとえば目的地が沖縄なのに北へ向かって進んでいたら、どれだけ頑張っても遠ざかってしまう。
進む努力そのものよりも、「どこへ向かうか」の方が大切なのかもしれない。
ただ現実には、「人の役に立つこと」が強調されやすく、「自分が楽しむこと」は後回しにされることも多い。
けれど本当は、そのどちらも大切なのだと思う。
誰かのためだけに生きれば、自分がすり減ってしまう。
自分のためだけに生きれば、どこかで孤独になることもある。
だからこそ、「人の役に立つこと」と「自分が楽しむこと」。
この2つの間を行き来しながら生きていくことが、ひとつのバランスなのかもしれない。
まとめ|人は何のために生きるのか

人は何のために生きているのか。
その答えは一つではなく、人それぞれの中にあるものなのだと思う。
ただ私は、
「人の役に立つこと」と「自分が楽しむこと」。
この2つを意識するだけで、日々の見え方は少し変わると感じている。
大きなことをする必要はない。
今日の中でほんの少しでも、
誰かに優しくできたことや、自分が少しでも心地よく感じられた時間があれば、それで十分なのかもしれない。


コメント